南湖公園は、元々「大沼」と呼ばれた低湿地帯を白河藩主松平定信公が改修し、庭園としたものです。
開園は享和元年(1801年)で、平成13年がちょうど200周年に当たります。
南湖という名称は、定信公の居城であった小峰城の南にある湖であること、
それから唐の詩人李白の詠んだ詩の一節「南湖秋水夜無煙」から取られたといわれています。
定信公は、この庭園を「四民共楽の地」とし、一般庶民にも開放しました。身分制度の厳しい
時代にあって、武家も庶民も共に楽しもうという思想は、大変に画期的なものだったといえます。
このように、一般に「公園」という形で開放したものとしては、南湖は日本最古のものです。
また、定信公は南湖湖畔に「十七勝・十六景」を設け当時の有名な歌人たちに歌を詠ませています。
南湖十七勝・十六景についてはこちらをごらんください。
(白河観光物産協会HPに南湖十七勝十六景パンフレットが掲載されています)
南湖は、公園としての機能の他に
@灌漑用水・・・南湖周辺の水田に使われ、収穫した作物の収益は藩校「立教館」の運営に役立てられた。
A貧民救済・・・南湖を造成するにあたり、職に困っている人たちを工事にあたらせ、給料を「つかみ取り」という形で支払っている。
B水泳の練習・・・藩士たちの水泳の訓練に用いた
C操船の訓練・・・外国からの防衛のため、船の操縦の訓練をさせた
このように、当時としては画期的な「多目的公園」として造成されました。
白河観光物産協会HP内「南湖公園」はこちら
南湖十七景について
定信公は南湖築堤の折、公園内の十七箇所を選定し景勝地それぞれに名前をつけ、さらに当時の有名な歌人たちに歌を詠ませました。
景勝地には和名・漢名2種類の名がつけられ(例:南湖・・・漢名/関の湖・・・和名)
それぞれ和歌と漢詩が公園内の石碑に刻まれ現在も残されています。
公園の周囲は約3キロあり、歩いて一周することが可能です。(車で一周することはできません)
南湖十七景の石碑を探しながらぐるっと周囲をまわってみることをおすすめします。
眺めるポイントによって、季節や時間によって微妙に表情を変える南湖をゆっくりをお楽しみください。
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