南湖神社は、福島県白河市の「南湖公園」の中に鎮座し、御祭神として松平定信(白河楽翁)公をおまつりしております。
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南湖神社御由緒
 

南湖神社の御祭神は、白河藩主・松平定信公(白河楽翁公)です。
 
 
松平定信(白河楽翁)公自画像  南湖神社所蔵
 
 定信公が26歳で藩主になられた当時は天明の大飢饉でしたが、定信公は関西地方に使者を出して、食料を大量に買いこんで人々に施されたため、白河藩からは飢饉による死者を一人も出さなかったといわれています。 また、日本最古の公園である「南湖」を築庭し身分制度の厳しい時代ながら一般庶民にも開放されるなど、様々な立派な施政を行われ名君と称えられております。
 南湖神社は初代宮司である中目瑞男の首唱で、公の偉大な御遺徳を敬慕する白河市民を始め、各地の崇敬者の熱烈な至誠と、当時のわが国財界の巨頭であられた渋沢栄一先生の御尽力により、大正9年5月10日、神社設立が認可され、大正11年6月11日竣工・御鎮座大祭が執行されて今日に及んでおります。 平成23年は御創建90周年を迎え、100周年に向けてご神威がますます輝きを増しているところです。
願一切成就の神・守国大明神として白河地域の人々より篤い崇敬を集め厄除開運・方位除けを始めとして、初宮詣・七五三交通安全・家内安全・商売繁盛などのご祈願をなさる方々で一年中参拝客が絶えることはありません。 近年は楽翁公が学問に非常に長けた方でおられたことから学業成就の神として受験生のお参りが非常に増えております。 さらに、楽翁公が白河在住の男性と会津の女性を引き合わせて縁を取り持ったということから「縁結びの神」として名高く、創建当時より神前結婚式が数多く行われております。  
 また、4月中旬になると南湖公園内のソメイヨシノや神社参道沿いの御神木「楽翁桜」が咲きだし、境内は参拝客であふれかえります。 「楽翁桜」は南湖公園築造当時に楽翁公によって植えられたと伝えられ、樹齢200年です。
 また、南湖神社創建の時に桜の木が中央になるように参道を作ったといわれております。


平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で南湖神社は甚大な被害を被り
社号標・灯篭・常夜灯・本殿基礎・社務所・茶室・宝物館などなどが多数倒壊・損壊いたしました。
現在は多くの皆様からのご協賛をいただき大半の修繕工事を終えておりますが、
一部にその爪痕がまだ残っており一日も早い完全復興を目指しているところです。



南湖神社御神紋「星梅鉢」について

松平定信公の松平家は久松松平家であり、遠祖は菅原道真公と伝えられています。
梅鉢には多くの種類がございますが、久松松平家は「星梅鉢」という家紋を使っています。



御祭神が学問の神様:菅原道真公の系譜であるということは非常に誇らしく
また、大変にありがたいことであると存じます。

また、久松松平家は徳川家の譜代大名家でもありますので、「三つ葉葵」も家紋としています。
こうしたことから、南湖神社の御神紋は星梅鉢と三つ葉葵を用いております。
もっとも、徳川家との御縁がある家は多く、その皆が葵紋を用いていたのでは区別がつきませんので
星梅鉢を多く用いているところです。

 

 新しく建立された「社号標」と震災でも無傷だったご祭神石造





祝 渋沢栄一公 新一万円札肖像決定



このたび、南湖神社創建時功労者である渋沢栄一公が新一万円札の肖像となることが決まりました。

渋沢栄一公は松平定信公の熱心な崇敬者として知られ

渋沢公が手がけ現在の東京のインフラの基礎を作った多くの事業は

定信公の遺した「七分金積み立て制度」によるものが大きいとされています。

南湖神社創建の折に渋沢公は多大なご協賛をなさり

当時の人気画家であった橋本永邦や下村観山に桜や楓の絵を描かせ

それらを南湖神社に奉納しています。(宝物館所蔵)

また、南湖神社大麻や震災後新に立てられた鳥居の額・及び社号標には渋沢公の筆跡が使われています。

茶室「松風亭羅月庵」から本殿に通じる坂道の途中には、渋沢公を顕彰する石碑が建っております。

詳細は渋沢栄一記念財団情報資源センターによるこちらのブログをご覧ください。

https://tobira.hatenadiary.jp/entry/20130511/1368234128

なお、この石碑は東日本大震災により倒壊いたしましたが

平成30年に再建されております。







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